歩を踏み出しかけて日向は動きを止めた。
「なんだ、ここは」
気づいたら見覚えのない場所にいた。妙に明るい。かといってはっきりものが見えるわけでもない。景色自体が判然としないのだ。
「あれっ、日向?」
声がして振り向く。そこに座り込んでいたのは三杉だった。代表のユニフォーム姿でぽかんとこちらを見上げている。気づいて自分も足元を見下ろせば、自分も同じ代表ジャージだった。
「俺たちなんだってこんなとこに…」
「ピッチだよね、とりあえず」
足元で霧が晴れていくように芝が目に入った。向こうには白いラインらしいものも見える。
「夢か? にしちゃ胡散臭い夢だな」
日向は少し上に目をあげて、くんと匂いを確かめた。
「こっちに何か…」
「あ、そっちは」
三杉が少し慌てた声をあげた。が、日向はそれには構わずにずんずんと先に進む。そうしてセンターサークルのあたりで止まった。
「なるほどな」
そこにはぼんやりした光に包まれた繭のようなものがあった。ほんのりと温かい光だった。細かな動きは鼓動のようだった。
最初はその光がすべてをさえぎっていて中は見通せなかったが、目を細めるようにしてじっと見透かすとやがてその中に何かがあるのが見えてきた。
「おい」
それに目を止めたまま、日向は低くうなる。その光に対してではない。すぐ後ろに立っている相手を疑わずに。
光の繭の中、ピッチの上にいたのは眠っている翼だった。胸が上下し時折手足を微妙に動かし、深い眠りの中にいると知れる。
「わかったぞ、これが誰の夢か。そしておまえがそれを隠したい理由もな」
「…隠したいなんて」
こころなしか声のトーンが落ちる。日向は振り返ってニヤリとした。
「あいつ一人の独断だとしてもおまえが知ってて黙認しているにしても、結果がこれだからな。おまえら過保護すぎだ」
日向は光に歩み寄った。翼よりもこの繭に興味があるのか顔を寄せて眺める。
「大事にしすぎて監禁になってねえか」
そればかりか手を伸ばして触れそうにさえなっている。
「こいつが繊細で傷つきやすいとか打たれ弱いとか思ってねえよな、まさか」
「そんなことは」
言いかけた三杉の言葉は出たとたんに否定された。
「いい加減に認めろ。こいつを守ってやる必要なんてねえぞ。狂犬だからな」
「……」
日向の目が険しく光る。視線は繭の中へ。
「勝つために何だってする。相手に噛みついて、自分に噛みついて、そしてひたすら先へ進む。俺たちにできることは、守ってやることじゃなくてこいつのキバに全力で対抗することだ」
昏々と穏やかに眠り続ける寝姿に、語尾は曖昧になる。
「…君には言われたくないよ」
猛虎と呼ばれ続ける男。少なくとも世間の評価は動かせない。
だが日向はせせら笑う。
「俺は狂犬じゃねえぜ。少なくとも正気だ。こいつにはな」
「あ、待て!」
三杉が止めようと背後から飛びついた時には遅かった。日向の両腕は光の渦に飲み込まれ、目当てのものを引き寄せる。繭はねじれるように四散した。
「なんてことを!」
尖った叫びがかけられても日向は動じない。眠っていた翼を簡単に肩に担ぎ上げ、一度だけ軽く揺すりあげる。
「もらってくぜ。じゃあな」
「日向! 何をする気だ」
幻のフィールドの上を歩み去ろうとしていた日向の足が止まった。
「ま、あいつは怒り狂うだろうが、おまえならなだめられるだろ。そっちは任せた」
「…ん、あれ?」
頼りない声がした。寝ぼけている。
日向は表情を緩めると肩の上でもぞもぞする体を一応ゆっくりと下ろして芝の上に立たせる。
「俺、どうしたの」
「起きたか。別にたいしたことじゃねえ。さ、さっさとボール蹴ろうぜ」
「日向くん」
まだぼーっとした表情だが、相手を認めるとパッと目が動く。
戦いの、目。
「よし、負けないからね!」
「もちろん俺が勝つからな」
「俺が!」
応酬の声がピッチのかなたへ遠ざかる。
「まったく」
肩から力が抜けていく。いつもの展開だ。
空間に静寂が戻る。2人の姿はもうない。
何もないフィールドを見渡す。また霧に閉ざされていく視界。
目の前にはただ緑の…。
「2人とも何やってんの。大丈夫?」
目に映ったのは緑の芝――のドアップ。遠くから勢い込んだ声が近づく。
「あ、ああ」
頭をもたげ、周囲を確認する。現実のピッチ。
「フン」
起き上がった向かいで日向が乱暴に立ち上がった。そして背中を見せてどんどん駆けて行く。
「小次郎のマンマークであんな真っ向に行くなんて。すごい音がしたよ」
伸ばされた手をじっと見つめ、その顔に目を移す。
「ごめん、日向にまんまと奪われた」
「え?」
ほんの数秒の昏倒。その間に。
手を借りて立ち上がる。それだけで伝えたいことがある。
「何を? ボールを?」
怪訝な顔の相手に微笑み返し、2人の秘密の空間を思う。
「彼は理性はないが常識はあるから。たぶん」
「もう。頭でも打ったわけ?」
得たものと失ったもの。それを思って三杉はフィールドに駆け出したのだった。
end
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