「さわんなって!」
「おい、哲兵」
井沢が咎める声を出したが、その前に振り払った手からドリンクのボトルが弾け飛んで地面に転がった。
「え、えーと」
差し入れのドリンクを南葛組に順に配っていただけだった高杉が棒立ちになる。
「オレに話しかけんな! おまえはぜってー許さないからな」
「真吾が何したっていうんだ。午前中は練習は別だったし、話もしてないだろ」
午後からの全体練習の前に集まっていた数人で顔を見合わせる。森崎などは輪から離れた場所で顔を青くしていた。
「どうしたんだ、大きな声を出して」
そこへ別のほうから声が近づいた。
「何かトラブルかい?」
「あ、三杉さん」
新田が振り返る。来生は一瞬ぎょっとした顔になったが、近づいてきた三杉に鋭い目を向けて睨み返した。
「三杉、おまえも許さねえ。口出しすんな!」
「え、何だって?」
こちらはまったく心当たりさえない。朝から今まで、接点があっただろうか。
が、そう問い返すより先に来生は三杉の肩を押しやって走っていってしまった。
仲間内だけならともかく、ここにいたって井沢はあたふたするばかりだった。突き飛ばされた三杉を横から支えて申し訳なさそうにする。
が、反対側に立っていた滝は、そこで何かに気づいたようだった。
「待てよ、哲兵」
「うるさい!」
ピッチの脇で足を止め、来生は両手のこぶしをプルプルさせ始めた。
「真吾も三杉もそりゃいいよな。けどオレはどうなるんだ、チクショウ」」
「しかたないだろ、こいつらには漢字があるんだから」
滝が声を上げた。他の仲間がぽかんとする。
「なるほど」
数秒を置いて三杉がうつむいて小さくため息をついた。
「そういうことか。だが僕にはどうにもできないね」
「そりゃそうだな」
滝があいまいに苦笑した。そしてボトルを拾い上げた高杉にも同情の目を向ける。
「なあ、哲兵、それは八つ当たりってもんだぜ」
「……」
来生は黙った。そしてくるりと向き直る。
「じゃ、じゃあせめて誰か教えてくれよ! オレのスはどこ行ったんだ!」
「はあ。知らないって、そんなの」
滝は目を逸らして頼りなげに首を振った。同情したくても呆れが先に出る。
「たぶん、監督が知ってるんじゃないかな。でなけりゃ若林さんか」
「適当言うな!」
半分涙声で叫ぶと、来生は今度こそ全力で走り去った。
全員が脱力しつつのろのろと移動し始める。
ちゃんとした訓読みの杉(すぎ)のある二人に対して、来生は自分の苗字の読みに行き場のない疑問を抱き続けていた。
「き」はわかる。「ぎ」もいいだろう。だが「す」の行方は?
三杉は今度は深いため息をついた。アドバイスはサッカー限定にしてもらいたい。多少の日常のメンタルケアならつきあってもいいが、こんな問題はどうすればいいのやら。
滝が複雑な表情で、その肩をトントンとたたいた。
end
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