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「うわあ、日本は梅雨だったあ! 蒸し暑いよー」
 日本に着いた翼の第一声がこれだった。スペインからはるばる飛んで来て、機外へ出た最初の体感がこれだ。合流して同じ便で並んで降りた岬もこれには苦笑した。
「今年は特別なんだって、雨の日が多いの。梅雨に帰国ってあまりないから忘れてた?」
「そりゃ理屈ではわかってるけど、このむっとした感じ、久しぶりで…」
 スペインにしろフランスにしろ、夏の湿度はたいしたことはない。ある程度の暑さはあっても日本の蒸し暑さとは大差がある。さすがはモンスーン気候。
「もうちょっと辛抱しよう? そのうち明けるよ」
 その日も空は雲が厚く、午後にはまた雨が降り出した。岬の希望的予測も空しく雨は夜通し続き、翌朝さっそく翼は変調をきたした。
「つ、翼くんっ」
 合宿施設の部屋から現われた翼を一目見て岬は息を飲む。
「そのアタマ――大丈夫っ?」
「うん…」
 翼は物理的にうつむき気味だ。
「なんか頭が重くて」
 ほんとに重そう、という言葉を岬は飲み込んでまじまじと翼を眺めた。
 翼の髪はぼわっと膨れ上がって二割増しになっていた。概算で。
「俺、思い出した。小さい頃からこうだったよ。父さんもお母さんも癖っ毛だから、家族みんなして」
 それでも父親は短髪で母親はかなりの投資をして幾分ましだったが、翼はひとり膨張し放題だったとか。自分も父親も髪質に苦労はなかった岬には想像できなかった。
「うわ、翼、おまえさっそく」
「一晩でここまでって」
 朝食のダイニングの前に集まりつつあるチームメイトたちにも衝撃が走る。
「ああーかわいそうに」
 滝が声をあげて駆け寄った。
「俺たちも可哀相がれ!」
 その後ろに一緒にいた来生が怒鳴る。なかなかに壮観な膨張っぷりを見せて。隣の井沢は何と形容していいやら、昔のアニメで感電した○ムとジェリーのような様相を見せて無言だった。
「もう何日もこれだぞ! 膨れるしもつれるし変なもんくっついてくるし…」
 階段を下りてきた若島津は低く話に加わる。髪が多いばかりか長さも長さの彼の姿はもはや幽鬼の如し。慣れているはずの反町やタケシですら距離を置いている。
「小次郎は大丈夫?」
 朝練からまだ戻っていないらしいが、岬の問いかけに若島津は首を振った。振ると髪が塊で揺れて余計にすさまじい。
「今は夏毛だから問題なしだ。むしろ雨でも気にせず走り回るから濡れそぼって体積が減ってるように見える」
「そうなんだー」
 しょぼくれながら翼がつぶやく。なんともうらやましい話だ。
「ダメですよ先輩たち。ちゃんと対策しないと」
 口をはさんだ佐野は同じく長髪組ながら、いつもの髪は軽くしばっていて特に問題は見えない。
「髪質にもよりますけど、普段のケアが大きいんです」
「そういうことタイ」
 なぜか次籐が得意そうな顔だ。アンタはもともと心配ないだろうに。
「普段パサついてると髪は余分な水分を吸い込みまくりになります。コーティングっていうか、髪の表面に栄養を十分与えないと。たとえば前の晩のシャンプーは間をおかずにキッチリドライヤーかけてください。けど乾燥しすぎも新たな湿気を呼びますから最後に冷風でクールダウンです」
「ほえ~」
 アホ毛がピョンピョンしている新田はただ感心するばかりだ。翼のため息は重い。
「――梅雨、まだ続くのかなあ」
「ま、雨くらい気にすんなって」
 梅雨とほぼ縁のなかった松山では信用ならない。隣で三杉もうなづいていた。
「太平洋沖に高気圧が居座るうちは、気圧の峰に向けて湿気が供給され続けるからねえ」
「まあ、俺は平気だけどよ!」
 子供の頃からずっと坊主で通していた男のお気楽な証言をもらって、翼は力なくうなだれたのだった。



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