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「あれ? 若島津」
 スターティングメンバーが入場した後ベンチに向かいかけた選手達のひとり、森崎がきょろきょろした。
「さっきまでここにいたよな」
 スタッフ数人はちらほらいたが、一緒にいたはずの若島津の姿がない。
 と、通路わきの曲がり角のかげからその若島津が歩いてきた。グラウンドコートのフードをすっぽりかぶった姿が怪しい。待っている森崎に気づいてやや早足になる。
「トイレ?」
 追いついたところで並んだ若島津はいつもと変わらず無表情だ。
「いや、審判と世間話をちょっとな」
「世間話って…」
 主審以下4名はさっきの列の先頭に並んでいたはずだ。一体いつの間に。
「ミーティングのあとに監督が耳打ちしたからその準備だ」
「えっ」
 森崎は愕然とした。
「ま、まさか交代がある?」
「楽しみにしてろ」
 なぜか声をひそめる森崎には構わずベンチに向かう。
 若島津の交代。それが意味するものを思って森崎は震えた。




 スコアは1-1。後半も15分になって若島津はハーフウェイラインの前に立った。第4の審判が電光掲示のボードを高く掲げる。17番の番号が青く光った。
 青いユニフォームの背中にはKENの文字。長い髪をポニーテールにして幅広のヘアバンド。スタジアムがふーっともおーっともつかない声で満ちる。
「だから、俺を偽装に使って遊ぶなって」
 その少し前のこと、森崎は不満いっぱいに若島津に苦情を言った。ベンチでは森崎と並んで席に沈み込み、ウォーミングアップも2人で組んで軽いランニングだった彼はここまであくまで目立つ行動は見せなかった。さっきコートを脱いだその瞬間まで。
 お約束と言えばお約束。
「だ、誰だ!」
「あれが幻の…」
 まあめったに出て来ないという意味では幻だが。
 スタジアムのサポーター達はわざとらしくざわめいている。めったに見られない代物が目撃できたという点では騒いでしかるべきかもしれない。
「いらない演出はすんな!」
 にやりとしただけでトップ下の位置に入る。
「悪目立ちするなって言っただろ!」
 向こう側のサイドライン近くでさっきからじたばたと抵抗しているのは日向だ。
 いつかの国際マッチ以来の登場に空気だけは盛り上がる。サポーターもそこは心得て棒読みの声援に徹していた。
 爆速の空手ストライカーが髪をなびかせてファイナルサードをかき乱す。
 最近のルールとしてすべてのアクセサリーが禁止されてからは、ヘアバンドについても審判の承認が必要とされているが、それを試合前に確認するのをルーティンにしてどうする。
 ゴール寸前に飛び込んだところでディフェンス数人が吹っ飛び、その余波で引き倒されたのをまんまとPK獲得に繋げる。そのキッカーは日向だったが。
「こういう引いて守るチームには毎回苦戦するよね」
 さらにそれにラフプレーで抵抗しがちな相手だと。
 ため息の岬のとなりで翼が両腕を突き上げて歓喜している。
「わあい、なでしこだー!」
 翼、それは当人には言ってはいけない。せめてニンジャと。
 「どんなサービス精神だ」
 若島津の兼用コンバートに文句を言う気はないが、こういう付き合い方だけはせめて避けたい森崎だった。


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