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「ダメだな、すぐ早百合ちゃんとこ行け!」
 2年のFWが交錯して脚からかなりの出血があった。
 この日の指導担当の島野が厳しい顔で言った。
 早百合ちゃんとこ、とは中等部の保健室の別名である。運動部の活動が盛んな東邦では、こんなふうに生キズの絶えない生徒たち学生たちのためにそのケアも手厚い。
 中等部には保健室、高等部には救護室、大学部にはかなりの床面積を誇るメディカルステーションがある。
 生徒たちの絶大なる信頼を得る早百合ちゃんとは東邦での勤続20数年のベテラン、斉藤早百合養護教諭であった。
 しかし、このところ密かに囁かれているのはちょっと趣の異なる噂だった。
「社会科の天神? 許せねー」
「どう見ても年下だろ。恐れ多いと思わんのか」
 古田が今井に同調して机を叩く。
「ですよね、日向さん」
「さあ」
 日向は生返事である。隣のクラスからその今井のノートを借りてせっせと写しているところだった。
 天神といういささか珍しい名のその教諭は、赴任して2年目にして人気養護教諭に熱烈アプローチをかけ始めたというのだ。
「気に入らんな」
 2学期からは3年生部員の活動も半減して週3回になっていた。引き継ぎは済ませ、それでも引退はしていない。外部進学者を除いて。そして今年はそれがゼロだった。
「お? 小池、いたのか」
 今日の下級生指導を終えた島野が、部室の外にいた小池に気づいた。
「ああ、ちょっとね」
 練習のない日もやってきて小池は窓の外側のグリーンカーテンの世話をしていた。南向きの窓を覆う丈高の朝顔の水遣りである。9月に入っても青々とした葉を茂らせている朝顔は今も花を咲かせ続けていた。
「おまえのおかげだったのか」
「違う違う」
 小池は笑った。
「そういう品種なんだ。ヘブンリーブルーっていって年末近くまで花をつけるんだよ」
「へえー?」
 それでもそこまで手をかけ知識もあるのはすごいけど、と島野は思った。
「それよりさ、どう思う?」
 小池は笑顔をすっと消して真面目な顔になった。
「え?」
「購買部の配送車、このところ毎日のように来てるんだぜ」
 コンビニなら毎日配送があっても普通だが、ここは人里離れた秘境だ。日配品も多くないだろうに、確かにそれが事実ならおかしい。
「俺、いつも会うんだよね」
 あたかも鼻歌でも歌うような調子で小池は付け足した。
「今日も挨拶したんだ。お月見のお団子、いっぱい持ってきたよって俺に言った」
 仲秋の名月だからと。島野も黙る。
「――わかった。調べとく」
 島野は部室から一度教室に戻ると、日向の補習に付き合っていた古田たちに声をかけた。
「じゃあ頼んだぞ」
「日向さん日向さん」
 補習のためのレポートに取り組んでいた日向に、今井と古田は1本のロープを渡す。
「ちょっとこれお願いします」
「ああ?」
 やはり上の空で、日向はロープを受け取りながらペンを走らせ続けた。
「しばらく持っててくださいねー」
「アイツ、皆既月食と十五夜を取り違えてたんだ」
 後日、松木が種明かしした。
「ニセ配送員には伝わってなかったんだろう。コンビニのノルマがあると勝手に思い込んでいて。月蝕は前夜、十五夜はその次の日だったのに」
「皆既月食は月齢が15ちょうどでないと起きないわけだが十五夜は暦で定めるから両者は一致しないことが多い。リアルに言うと一致するのは半分に達するか達しないかくらいだ」
 理系の松木の説明は黄道面の傾きがどうとかと尚も続いたが、ほとんどの部員がギブアップした。不審者に気づいた当の小池も含めて。
 納得したのは日向だけだったかもしれない。
「つまり俺が綱引きに勝ったからだな」
 購買部ことコンビニの配送員に扮していたストーカー男はサッカー部3年生の連携プレイで取り押さえられた。斉藤養護教諭につきまといを繰り返し、その身辺をおびやかし続けていたストーカー。
 だが逃走しようとした男は、上の空でロープを握っていただけの日向の無意識の腕力に負けたのだった。警察が駆けつけるまで配送車にリードをつけておいたのが功を奏したと。
「天神許さないぞ!」
 しかし彼らにとっての敵はやはり天神教諭だったらしい。
 ストーカーの影にその相談役だった彼が、どこをどう勘違いされたのか斉藤養護教諭を救った救世主にされて、なんと二人はゴールインすることになったという。
「あああ、早百合ちゃんがー」
 サッカー部に限らず多くの中学生を嘆かせたわけだが、後にその異動が発表された時、一転して歓喜が弾けることになった。東邦学園を離れることなく、保健室から救護室への異動となったのだ。つまり中等部から高等部へ。
「ちきしょー、おめでとー!」
 アラフォーの花嫁はこうして無事に生徒たちの祝福を浴びることになった。
 青春は瓢箪から駒。中学3年の秋たけなわのことだった。







FW 日向  カリスマ性MAXの怪力エース。周囲に恐れられているがサッカー外では無害
   反町  日向の陰に完全に隠れている器用貧乏忍者。へらへら
MF 島野  規律重視の真面目な毒舌家。通称ダンナ
   沢田  年少者ながら容赦ない常識人。正論で斬る
   松木  眼光鋭い子。成績トップクラス。ミステリアス
   小池  小動物顔。責任感のある癒し系。園芸マニア
DF 川辺  そつがないわりに大事なところで抜けている
   古田  のんびり屋。怒らせるとコワイ   
   今井  行動力が高い。カノジョに振り回されている
   高島  コミュ力がある。成績優秀な理系。びっくり目玉の子
GK 若島津 妖怪変化の類。いい意味で
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