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 成田空港の第2ターミナル。その目立たない通路の壁際にピアノがあった。
 いわゆるストリートピアノだが、場所が場所だけに弾こうとする人は多くなかった。
「お?」
 しかし物好きはいるもので、出国手続き前のその一行の中の一人が、そのアップライトピアノにスルスルと近寄った。
「おいおい、弾く気か?」
「何にしよーかなっ」
 東邦学園大の海外遠征であった。1年生からも数人が選ばれており、反町一樹はその一人だった。
「Perfume弾けよ」
「ルパンだ、ルパン」
 先輩たちの遠慮のない声が飛ぶ。
 指慣らしのスケールなぞ弾いてから、反町は楽しそうにゲーム音楽をメドレーで弾き始めた。喜んで手を打つものもいた。
「なんだ、おまえ、ピアノなんて弾けたのか」
「任せてくださいよ、先輩」
 弾きながらニヤニヤと応じる。物怖じしない性格というのは得である。
 が、そこまでだった。いきなりぬっと手が伸び、鍵盤をゆく手が2本増える。
「続けろ」
「えっ、な、なに?」
 某RPGの人気曲にいきなり割り込んだこの人物。反町は弾きながら横目で顔を見て仰天した。
「げーっ、カールハインツ・シュナイダー!?」
 タッチは乱れ、一瞬で演奏は止まってしまう。シュナイダーはギッと睨む。
「なぜ止める!」
「なんであんたがここに現われんのー!」
 日本語にドイツ語で応じる。この時点で話は通じていない。
「それなら――」
 手で合図して脇へ追いやり、席についてしまう。
 いきなりの嵐の和音が弾けて、反町は唖然とした。が、激しいストロークに慌てて加わり、あの有名な主旋律に間に合った。
「ショパンの英雄ポロネーズ!?」
「なんつー難曲で連弾を!」
 クラシック好きの上級生がショックの表情で固まった。叩きつけるような激しい指が交差し、曲は扇動的に上下する。オクターブが強くも軽やかに動いてやがて再び主旋律へと。
 長くはない小品が切れ味のいい轟きを残響として終わった。
 東邦のチームメイトはただ言葉もなく囲んでいたが、それに混じって有名曲に足を止めていった何人かの通りすがり客がまばらに手を叩く。
 一番呆然としていたのは反町だった。ピアノの前で心ここにあらずという様子だ。
「おまえのことは覚えている。あの試合で左ウィングだったな。代表での再戦を楽しみにしてるぞ」
「あ…」
 なんてことを、こんな時に。
 シュナイダーは先に席を立ち、そばのバッグを取り上げた。
「ここ、出発ロビーってことは――」
「ほんとに、何しに来てたんだ!」
 追う叫びだけが響く。シュナイダーは消えていた。
「おい、反町」
 そこにやってきた別の1年生ふたり。
「頼まれた分のドル、両替してきたぞ。こんな間際に困ったヤツだな」
「…ん? なんでこんなに集まってんだ? ピアノの前で」
 機内荷物を持った日向と若島津だった。不審げに上級生たちを見渡す。
「い、いや何でも。ヒマつぶしてただけ」
 反町にはそれしか言えなかった。あの試合の日向とシュナイダーの因縁を思い出しても。
 そして彼は知らなかった。シュナイダーが天才的な方向音痴だということを。いやいくらなんでもそれはね?
「出発前になんか疲れちゃったよ」
 これから向かう南の空を見上げて、反町は一人ため息をついた。



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