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 三杉は絶望していた。
 ミーティングの前準備のためにここまで上がってきたのだったが、廊下に一人立つフィジカルコーチは苦悶の表情を浮かべて、途切れ途切れの説明をした。
「監督は今朝から起き上がれずにいる。通訳のノーマンさんもだ」
 外国人監督は初めて来た観光地で浮かれ、地元名物料理に夢中になったのだという。そこまで付き合わなくてもと思われる通訳氏もご同様のテンションで腹いっぱい料理を詰め込んだ結果、自室に倒れ込んでいる。あんたは日本育ちだろうに!
「ではコーチも…」
 こちらは部屋にこもってゲーム三昧をしながら無意識に差し入れのナッツを食いまくり、数人が揃って腹を壊してしまった。代わる代わるにトイレに往復しているらしい。
「悪いっ、俺も…」
 弱弱しくつぶやいて彼も部屋に消えた。
「結局、今日一日は臨時休養日?」
 自分はサッカーをしに来たのであって、この大人げないヒトたちの介護をするためなどではない。
「今日一日ですむかな」
 三杉は大きなため息をつきながらエレベーターホールにきびすを返し、階下へのボタンを押した。


               ●


 反町は絶望していた。
 同室の高杉とその仲間たち(当然南葛組である)に囲まれ、携帯ゲーム機をまんまと持ち去られたのだ。
 発売されたばかりの新作ゲームをやりたかったのは自分も彼らも同じだったので、貸すのは構わない。しかし。
「俺のセーブデータ…」
 手元に戻ったゲーム機を前に呆然とする。
「全部上書きしちまったのお~?」
 本体にセーブされるのかカートリッジに保存されるのか、使い慣れない人間には伝わっていなかったわけで。
「ゴメンよー」
 高杉の謝罪はもらったものの、それで取り戻せるわけもなく。
「え、バックアップできてなかったんスか?」
「バックアップできない仕様なのっ!」
 和夫と部屋を代わっていた新田がおどおどして滝の後ろに隠れるが手遅れ。
 怒るより前に脱力した反町はしおしおと1階下の自室に向かった。エレベーターのボタンを押してがっくり肩を落とす。
「もうちょっとでクリアできるとこまで行ってたのになー」
 サッカーは後回しにしてやりこんだ果てがコレだ。
 ん、後回しにして?
 本当の恐怖はまだこの先に待っていたのだが。



             ●
  

 松山は絶望していた。
「――日向、おまえ」
 もう既に涙目だ。
 部屋のミニ冷蔵庫の前に膝をついて。いや、へたり込んで。
「まさか、飲んじまったのかよー、俺のシトロンーー」
「あ? あれお前が入れてたのか? ホテルが勝手に入れたヤツかと思って。サイダーだろ?」
「サイダーじゃねえ! シトロンだってーの! 北海道くらいでしか売ってねーからと思ってわざわざ買ってきたのによ!」
「そーか。悪い悪い」
 いや全然悪いとは思っていない軽い調子で日向が言ったので、松山はしょんぼりを通り越してがっくりした。
「喉がかわいててな、あれ、よく冷えててうまかったぜ。あと牛乳パックみたいなヤツ? あれもうまかった」
「…え、おい、嘘だろ?」
 松山はあっけにとられたあと、猛然と冷蔵庫をあさった。
「な、ない! カツゲンまでない!」
「だからあれもうまかったって言ったろ? おまえのだって知らなかったんだって」
「うまいのは当たり前だ! あれもヨソじゃ買えねーから俺は…俺は…」
「なんだよ熱烈だな。牛乳くらいまた買ってくるから」
「牛乳なんかじゃねえ、あれはカツゲンなんだーっ!」
 乳飲料と乳酸飲料の区別もついていない日向に、何を言っても無駄なようだった。
「そんなに限定品が好きなら、わたぼくのコーヒー牛乳でも買ってきてやるよ」
「なにがわたぼくだ! ちっきしょー!」
 ちなみにそれは、埼玉の子供たちが愛してやまない、限定というよりただのローカル商品であった。
 あまりのショックに松山は部屋を飛び出しエレベーターホールに走ってゆく。目撃した若島津がため息と共に日向に鉄拳を食らわせたのも知らずに。



             ●



 岬は絶望した。
 絶望して、それと同時に激高した。
「またそれーーー」
 ホテルの外に買い物に出て帰ってきたばかりのエレベーターホールだった。
 待っていたエレベーターが開くと知らない男が一人乗っており、岬を一目見てパニックになったようだった。
「さ、さ、さ、さっきの少年!」
 真っ青になって立ちすくみ、岬に指を突きつける。
「なんだって?」
 その言葉は岬には決して言ってはならないものだった。
「ボクを誰と間違えたの、言ってみてよ! ほら、早く!」
 詰め寄ろうとした岬に、エレベーターの扉はすぐに閉まった。岬の怒りはそれでも収まらずに叫びはその後を追って行く。
「誰だか知らないけど、どういう目をしてるわけ! ボクは似てなんかーー」



             ●



「――おい、どうした、しっかりしろ」
 地下の駐車スペースで待っていた車によろよろと乗り込んで、男はひたすら震えていた。
 ホテルを出て30分ほど走り、ようやく声が出る。
「日本代表の監督に直撃インタビューしようとして、無許可で潜り込んだはいいが、最上階の監督の部屋は誰かがいる気配だけして返事がないから、その下のコーチングスタッフのフロアまで行ったんだ。そしたら――」
 男の声はまだ震えていた。
「扉が開いたそこに、青いウェアの少年が一人、うつむくように立ってたんだ。ひどく絶望したような顔をして」
「たまたまそこにいただけじゃないのか?」
「その時はそう思って、ひとつ下の階で扉を開けたら、そこにもいたんだ。同じ青い服を着て、同じ少年が、同じように絶望したような顔をして…」
 びっくりして扉を閉めて、まさかと思いながら次のフロアに行ったという。
「まさかそこにも…?」
「いた」
 ぽつりと男は答えた。
「いたんだよ! そこにも」
 同じ青い服。絶望の顔。
「もうワケがわかんなくて、誰でもいいから助けてくれって思って1階で降りようとしたら…」
 ダメ押しの恐怖。4人目の少年が。 
 しかもその絶望の顔で襲ってきたのだという。何か叫びながら。
 ぎりぎりのところで逃げ切れたが、もう口もきけなくなって、車に逃げ込むのがやっとだった。
「も、もういやだ。あんなこと…。もう絶対行かないーー」
 そのほうが、いいでしょう。日本代表の呪われた一瞬。次は一瞬ではすまないかもしれませんから。ね?



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