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「あれ、そこにいるのは…」
 雑誌から顔を上げたのは間違いなくその人、マネージャーの青葉だった。
「真田くん? どうしたの、こんなとこで」
「おまえこそだろ? この暑い中でなにやってんだ」
 確かに日陰には入っていたが公園の木々は見渡してもたいした数はなく、ベンチの上にも頼りなく影が射すだけだ。青葉は帽子はかぶっていたものの、一人で座っているにはいい場所とは言えない。何より8月のこの暑さだ。
「待ち合わせとか?」
 誰かと。いやかなりの確率で誰なのかは予想がつくが。
「そうじゃないの。お告げがあってね、潜伏中」
 何か小さくニヤリとしたように見えたのは気のせいか。しかも半袖のひじを上げて力こぶを見せる。決して強そうでもないその腕を見つめて俺は混乱した。
「ど、どういう意味だ」
「……私たち、この夏で一度引退じゃない? こうしてサッカー部の一員としていられるのも終わりだなって」
 青葉は言葉を切った。多くがそのまま高等部に進んでサッカーを続ける俺達と違って、青葉は高校からは外部へ、どこかのお嬢様学校に行くのだともっぱらの噂だった。
 しかしそういうしんみりした話題にしては青葉の態度はやけにさっぱりしている。それにその腕力自慢?
 青葉は空に目をやって何かため息をつき、腕を下ろした。
 地面のぎらぎらした太陽光を反射して、白っぽい服装の青葉はなんだかまぶしく光をまとっている。ように見えた。横顔もりりしい。
 そう、青葉はいつもりりしかった。力強く俺達サッカー部を支え、力強くキャプテンを支え、それでも俺達は敗れた。先に、進めなかった。ただ一人の女子部員、青葉は涙を見せなかった。
 その原動力はいったい何だ。そりゃキャプテンへの愛だ、と言えるなら簡単なのだが、それとも違う彼女自身の強さがいつもそこにある。
「誰かと戦うとか…」
 青葉は不敵な微笑みを見せた。無言で。
 やめろよ? ここで女のキャットファイトとか言うなよ?
「そうね、戦いになるかも。まだどう転ぶかわからないけど」
 それはよく知っている目だった。ピッチに飛び出していく時の俺達仲間の目。
 いつか一ノ瀬たちと話したことがある。青葉というのは、男だったら絶対に選手になってるだろうと。肩を並べて駆けて、ゴールに力強く向かうだろうと。
 その立ち位置は目立つ場所でもなく、地味で一歩引いていて、なのになぜか大きな圧力だった。風圧だった。
 ふわふわとキャプテンに近づいていって笑顔で迫ってしおらしく見せたり華やかに着飾ったりする女の子達とは完全に違っていた。女らしくない、という意味では決してないが。
「青葉?」
 今にも遠くピッチの果てへ駆け出しそうな。そんな女の子。
 そうか。戦友だ。
 俺達とずっと戦ってきた戦友、病とも戦わざるをえないキャプテンと一緒に戦った戦友だ。
「え、何?」
 ちょっとぼーっとしたのは暑さのせいか。
「い、いや、おまえがなんか無駄に強そうに見えてさ」
「無駄に? ほんとにそうか、見てて」
 公園の先の、スロープ通路。建物の2階から地上へ降りてくる緩いスロープに向かって青葉は伸び上がった。
 降りてくる人影がある。
 まっすぐ腕を伸ばして大きく振る姿に気づいたようだ。あわてて身を乗り出している。
「マネージャー! それに真田も」
 ぐるっと周って公園に入ってきたキャプテンを俺達も歩いて行って迎えた。
「君たちなんでここに」
「あ、偶然ここで会ってさ。俺親戚と集まる途中で…」
 聞かれてもいないのに詳しい事情を真っ先に言う。疑われては困る。
「そうなんだ」
 俺の次に青葉をちらっと見る。あえてしばらく黙っていた気配の青葉が口を開いた。
「で、どうでした、キャプテン。なんて答えたの?」
「え、あ…知ってたのか。そうだね、決勝戦の時一緒だったしね、松山とも」
 話が見えないが、キャプテンはちょっと口ごもった。そしてきっぱりとした顔になる。
「サッカー協会の人に伝えてきたよ。選手としての可能性が少しでもあるなら、喜んで、と」
「そう、決心したんですね!」
 全国中学生大会の選抜チームに加入? ていうかジュニアユース代表?
「都大会で敗退した僕にもチャンスはあると。パフォーマンス次第だと念を押してきた」
「どうせ誰にも相談なしで、一人で決める気だって思ってました。私が口を出すまでもないと」
 一度下を向いて青葉は自分の手を確認した。
「でも、前へ向かう気がないなら、そんな結論なら、ぶっとばすつもりでした、私」
「ぶっとばす? 何を?」
 三杉さんはただ不思議そうな顔をした。大事なとこで天然か。
 でも青葉はにっこり笑顔を返しただけだった。
「さあ、運命を、かな?」
 ちらりと振り返って共犯者の目をする。俺はゆっくり後ずさった。
「あ、俺そういやそろそろ急がないと」
 お邪魔はしません。そう心につぶやく。
「…いってらっしゃい、淳」
 背中に何か聞こえたような。
 公園を出てはるか向こうを振り返ると、何も言わずにぎこちなく抱き合う姿があった。
 暑い夏の午後のことだった。




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